論理・主張の崩壊

ブラック企業だの社畜だのという言葉を聞かない日がないくらい、最近はブラック企業が問題視されている。

しかし原因を企業や消費者の側のみに求めるのは無理がある。

 

 

考えてみてほしい。

例えばAさん、Bさん、Cさんの3人の社会人男性(全員30歳)がいるとする。

Aは22歳で大学卒業し以後は正社員。

Bは大学卒業後アルバイトや契約社員を転々とし、夢はそのノウハウを活かした起業。

Cは高校卒業後ヴィジュアル系バンドマン(インディーズ。ライブでの人気はある)。

職に貴賤なしとはわかっていても、BCのような生き方を認めてくれる人が多くないというのが現状だ。

不安定な時代だからこそ安定した職業に就いている人が魅力的に見えるというのもまた、当然なので私はこれを全否定する気はない。

 

 

しかし本当にそれでいいのだろうか?

確かにサラリーマンを中心とした社会は合理的ではある。

しかしそうでない働き方をしたい、またはサラリーマンに向いていない、というマイノリティに対する配慮が欠けている。

マイノリティと言ったが、もしかしたら隠れた多数派、つまりサイレントマジョリティかもしれない。

何故なら、一見画一的に見える職業観(良い学校出てサラリーマンになるのを正解と見なすなど)も自然とそうなったわけではなく、後付けであるからだ。

もしかしたら国民の多くは「多様な働き方を許されて欲しい」と思っているかもしれない。

その証拠に、戦前はサラリーマンは少数派であり、農業や自営業者、そして今日でいうようなフリーランス的な就業者が多かった。

 

 

現在のサラリーマン中心システムは戦後の高度成長期に作られたといえる。

確かに、一国全体で大きくなっている最中に於いては、バラバラに働かれるよりは大組織化・画一化した方がメリットは大きい。

しかし今となっては時代遅れである。

低成長時代では、皆で同じことをしても報われないのは当たり前であり、それについて嘆くよりも新しい働き方にシフトしていくべきだ。

ましてや人工知能が進化していけば、個性の発揮できない人は職を失い、個性を仕事に結びつけられる人のみが仕事にありつける状態となるだろう。

ブルーカラーは昔から機械との競争に晒されてきたが、人工知能はホワイトカラーにとっての脅威となりうる(もちろん、人工知能が普及することにより新たな仕事が沢山生まれるだろうが、これは一旦横に置いて考えるとする)。

 

 

今のサラリーマンの多くは、自分の個性を発揮するというよりは周囲や上司に合わせて仕事をしている。

協調性は大切であるが、度を過ぎている。

そこまでして自分を抑圧して大きなキックバックがあるなら良いのだが、そうとは限らない。

どれだけ我慢しても経営陣の判断次第では簡単に首が飛ぶしこれに対して経営陣は責任を負わない(リストラ社員の面倒は見ない)場合が増えている。

それだけでない。

「正社員になれただけ有り難いと思え」的な風潮すらある。

この風潮が「ノーと言えないサラリーマン」の量産に影響を与えているかもしれない。

こうして、サラリーマンになったら最後、自分の魂を会社に売らなければならない。

サラリーマンが月給の奴隷のような存在になりつつあるにもかかわらず、そのサラリーマンが唯一の正しい働き方のように教え込まれることについて正直違和感しかない。

 

 

経営者達はかつての日本的な社長像ではなく、アメリカ型のドライな判断する人が増えている。

しかし彼らは社員に対しては相変わらず日本的な忠誠を要求する。

無理がある。

と同時に、こうしたモデルの正当化も無理がある。

経営者の考えが変わるのは時代への適応なので仕方ない。

ただ、そうであれば労働者側にも自由を増やしてくれても良いはずだ。

使う側がアメリカ的なやりかたするなら、働く側もアメリカ的なドライな働き方で良いだろう(私はアメリカが良いと言っているわけではなく、あくまで例。企業や社会のダブルスタンダードと欺瞞が気に食わないと言いたいだけだ)。

そこは両者揃えるべきだし、そもそもサラリーマン以外の生き方に対する寛容性も重要といえる。

そうでないと、経営者からすれば「正社員という売り文句さえあれば勝手に働き手が集まってくる」状態がキープでき、ブラック企業問題は放置されてしまう(労働者は労働市場という市場に属すので、一般的には買い手市場のときは立場が極端に弱い)。

本当にブラック企業を撲滅したいのであれば、経営陣を叩くやりかたではなく、日本社会に於ける労働スタイルのダイバーシティを認める方が早い。

「サラリーマンやりたければサラリーマンやればよいし起業したい人は起業すれば良い。非正規で掛け持ちして色々な仕事に触れたいならそれもよし」という風潮になれば、企業としてはこれまでのような社員酷使やコンプライアンスCSR(社会的責任)軽視した経営は出来なくなるだろう。

ただ、働き手の多様化のためには最低賃金の欧州並みへの引き上げや同一労働同一賃金ルール、起業しやすい社会にするための法整備などが不可欠となる。

つまり乗り越えるべき課題は幾つもある。

しかし無視できる課題ではない。

 

 

ブログが好きな理由

かつて、ネット上の一般人の発信といえば個人サイトやブログが主流であった。

しかし2010年代に入ってからはTwitterや各種SNSYoutube、最近ではInstagramなどが人気がある。

かく言う私も、mixiFacebookには御世話になっている(Twitterは一時期やっていたがやめてしまった)。

 

ただ、個人的な意見や見解を述べる場としては、ブログが好きだ。

何故ならTwitterSNSは短文での発信が基本であり、中身を詰めたようなことを書くにはあまり向いていない(できないわけではないが、あまり適さない)。

また、SNSではその性質上、他者からの共感を得られるかどうか気にしてしまう。私はそうではなく比較的好き勝手に発言しているが、全く気にしていないわけではないし、大多数のSNS利用者は他者からの共感を意識しながら使っているだろう(Socialというだけある)。

 

ところがブログは他者との繋がりよりも、発信者の個性や主張性といったものが大事である(と私は思う)。

ゆえに、言いたいことや考えたことを載せる場としては使いやすい。

それならTwitterだって同じだろうが、Twitterは短文形式なので中身を詰めにくい(その分手軽さが魅力だが)し短文なのであまり考えず投稿している人も多いように見受けられる。

私は何か意見を述べるときは軸がぶれないように考えてから、というタイプなので練り込みを自然と意識しやすいブログの方が魅力を感じる。

毎年のことながら

埼玉県の公立高校入試まで残り僅かである。

私立専願組の子達は入試を終えている子が多いが、大多数は3/2の公立高校を受ける。

私の教え子達も最近は表情に余裕がなくなってきたが、自らの力を信じ、かつ過信せず、バランス保ち本番に臨んで欲しいし、本番までの期間に出来るだけ力の最大値を伸ばせるように私としても指導を行いたい。

と同時に、メンタル面でもサポートを行いたい。

彼らにとっては「自分の力で次の道を勝ち取る」最初の試練である。

 

全国的に考えても高校入試は原則「本格的な競争の初回」である(中学入試する子供より高校入試する子供の方が圧倒的に多いため)。

その更に後は高卒就職組と大学等進学組に分かれるが高校入試とは比べ物にならないシビアな競争が待っている(大学入試の倍率は2以上が当たり前だし大学や学部学科によっては7以上もザラだが高校入試は公立は1.5でも高い部類)。

大学に行った者も卒業前の就職活動ではかなりハードな選別が行われる(尤も、最近は景気回復により売り手市場といわれているがそれでもハードであることには変わりない)。

 

社会に出た後は、一社会人として生き残るために様々な競争を乗り越えなければならない。

このように高校入試以降は誰もが競争から逃れることはできないのだ。

よって、私の教え子達、また埼玉県の中学生達、そして全国の中学生達には高校入試を通じて成長してもらいたい。

平均的な倍率を考えれば、「最初の試練」として相応しいものは高校入試以外には存在しないと思う(前述のように大学入試はかなりキツい競争であるし、中学入試は小6の子供にとってはあまりにも厳しすぎる世界である)。

ブラック企業対策の重要性

近年「ブラック企業」が社会的に大問題となっている。

ブラック企業が何たるかは、かなり多くの人が書籍でもインターネット上でも書いているので、ここでの説明は割愛する(読者の方には検索エンジンで調べていただきたい)。

 

私がここで言及するのは「何故ブラック企業対策が必要なのか」である。

以下の三点を挙げておきたい。

 

1、労働者の疲弊と消費の鈍化

2、行政の出動と財政

3、2045年問題

 

他にもあるだろうが、ざっと思い付くものを挙げたので一つ一つ述べる。

 

1、労働者の疲弊と消費の鈍化

 

ブラック企業の問題点の最大のものは労働者の疲弊であろう。

そもそも労働生産性を上げようとして安価で酷使しているはずだが、人間の背負える負荷には限界がある。その結果最終的には労働者は疲弊してその会社での生産性が落ちるか、最悪解雇や退職によって生計手段を失う。

労働者は消費者でもある。

労働者が仕事に見合わぬ低賃金だったり疲弊して退職したりすれば彼らからすれば消費に回す金などロクに無い。

そして世の中に金が回らず内需は冷え込みデフレになっていく。

 

2、行政の出動と財政

 

1で述べたようにブラック企業は労働者を疲弊させる。

そしてブラック企業から逃れられた労働者の行く先はどうなのかというと、これまた茨の道であることが多い。彼らは肉体的にも精神的にも相当磨り減っているのだ。次の会社への転職どころではなく、比較的長期にわたり無業者になるのも珍しくはない。また、ブラック企業がトラウマとなり働くこと自体が嫌になる人までいる。つまり、とある会社からだけでなく労働市場自体から退出する危険性がある。

とはいえ生きるためには金が無ければいけない。

失業保険が貰えないような人は行政による生活保護を貰っていたりする。

今の日本では少子高齢化や1991年以降の経済停滞により財政が年々厳しさを増している。

こうした中で失業者や自発的失業者を行政によって十分に包摂する余裕などあるのだろうか?

 

3、2045年問題

 

2010年代に入り、AI(Artificial Intelligence=人工知能)の発達は加速している。

銀行業務のワトソンやプロ棋士に勝ったAlphaGoは衝撃的なものであった。

そこで多くの人が思ったのではないか。「我々の仕事が無くなるのではないか」と。

 

あくまで私の予想であるが、人々の仕事を大量に奪うほどAIやAI搭載ロボットが普及するならそれらの機器を作る仕事やメンテナンスの仕事が大量に生まれるだろう(つまりAI自体が自動車産業なみに裾野が広い一大産業になる)しAIによって仕事が効率化し他の仕事が出来るようになるため人間の仕事は然程減らないだろう。

AIロボットをAIが作るのは相当高度なことでありそこまでの年月は相当かかる上、その技術が実用化してもかなり高価であることから導入は数十年後になると見てもおかしくないはずだ(その頃には日本の人口はかなり減っているから人間の仕事が減っても大丈夫)。

また、普及するということは特別な技術者でないような普通の人も機器を直したりできるほどシンプルにならなければいけないだろうということだ(これが単純労働に毛が生えたレベルのメンテナンス作業者の雇用を生むと考えた理由)。特別な技術者やプログラマしかロボットやAI機器の中身をいじれないならそもそもあまり普及しないし雇用を大量に奪うほどにはならない。

未来のことは分からないし今私の述べたことも後で「間違いだった」となるかもしれないが、それはそれでAIによる雇用の侵食を重く見た政府がAI利用の制限を企業に課す法律や人件費の割合を一定割合以上にせよと義務付ける法律を作るかもしれない(大量の失業者は財政を圧迫するため)。

 

ただ、最悪のパターンを考えねばならない。

企業や政府が何も対策をとらなければ(つまり今のシステムの延長線なら)日本では近い将来に49%の仕事が無くなるとの懸念がある。

また、全世界的に見れば、これまた何も対策をとらなければ2045年頃にAIが全人類の知能を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)を迎えるとされ、そうなると人間はAIを制御できなくなる(人間の仕事は消滅する)。

 

これは大変なことである。

2045年まではAI機器を大量に保持できる資本家に富が集中し労働者(ホワイトカラーブルーカラー問わず)は貧しくなるし、2045年以降は資本家さえも食い扶持がなくなる。

ベーシックインカム(BI)はAI先進地域である欧米で真剣に議論されているが総失業時代をこれから迎えるのであればBIを支える税金は何処から入ってくるのだろうか(資本家が払う税金だけでは到底賄えないし資本家自体も2045年にはモノを売る相手がいなくなるなら破産してしまうだろう)。

 

悲観的展望を書いたが、世界も日本もそこまでバカではないので、数年単位で何らかの規制を打つだろう(労働者は消費者でもあるのだから)。

しかし人間の労働者に求められるスキルが高度化するのはほぼ確定だ。これまでだって労働者に求められるスキルがかなり上がってきた(所謂コミュ障と呼ばれている人々が就職しにくかったり失業しやすくなっていることからもわかるだろう)。しかし人間はAIとは違うので数年単位で劇的に進化するわけではなくスキルを皆で磨き合ってもやがて頭打ちになる。このミスマッチが未来のブラック労働リスクになる。今ブラックでなくともこれからブラックになる可能性があるのだ。

そうであれば現状のブラック企業問題を放置すれば尚更まずいのは言うまでもないだろう。

消費者の意識改革も求められる。

ブラック企業はワンマン経営者型と消費者起因型がある。

前者は社会的に許されなくなってきているし実際そうした企業では社員が集まらなくなってきているので淘汰されるだろう。

後者が問題である。ブラック企業は実は消費者の「ワガママの加速」が原因との見方がある。周りを見てほしい。居ないだろうか?コンビニや牛丼屋の店員に高いサービスを求めている人達が。価格と価値のバランスを考えるべきである。安いには安いなりの理由が本来あり、そうした店に対して過剰にサービスを求めるのは最終的には労働環境を全体的に悪くする(ブーメラン)。

ある店の客本人も、別のところでは社員側・スタッフ側なのである。そこのところは我々全員で再考する必要がある。

ちなみに私は店を利用するときはレジなどで店員に対して軽く頭を下げているし基本的には文句は言わない。店員が明らかに私より若い人であってもだ。何故なら納得してその店を使っているのに悪態つくのはおかしいと思うし、店員には気持ちよく仕事をしてもらいたいからだ。

 

 

私達全員が、未来に対して責任を持つ。

より良い未来を作るためには個々の意識を再考する必要がある。

無い袖は振れぬ

毎年10月頃は各都道府県にて最低賃金が改定される。

埼玉県では、今年は10/1に改定され、時間額820円→845円と25円の引き上げがなされた。

 

埼玉県の昼間のパートタイマーの募集時給(研修時給が設定されている事業所は研修期間終了後の基本時給)は9月までは900円程度が相場であった。

高い方は都市部やショッピングモールの店の約950~1000円、工場の約1000円、そして若干特殊な仕事の1200円前後などであり、低い方はコンビニ(最賃スレスレな職種なのは有名だろう)の約820円やホームセンターの約850円などであった。

 

それが最低賃金845円となるとどうだろう。

まだ改定されたばかりなので相場は未チェック(これから時給変わる事業所も出てくるだろうし)だが、以下のように予想する。

 

最低賃金820円時代にA社820円、B社850円、C社900円、D社950円、E社1000円だったとする。

最低賃金が845円になったことによりAはそのままでは違法化するため845円か末尾切り上げの850円。

BはAに時給が並ばれるため人集めのために時給の優位性を維持すべく870円。

CはBとの差が縮まるため920円。

Dも同様に970円。

しかしEはもともと1000円でありこれ以上上げるのはキツいため据え置き。

あくまで想定の範囲を出ないが、下が上がることにより連鎖的に上がるだろう。

ただ、Eのように元々最低賃金に対して余裕持たせてある事業所は据え置きの可能性は高い。

それでも最低賃金上げには意義がある。

 

これについては賛否があるようである。

毎年のように言われていることであるが、賛成側は「これで低所得層の所得が底上げされる」「そもそも今までが安過ぎた」であり反対側は「中小企業の負担が大変だ」「雇用が減るのではないか」といったところであろう。

 

私は賛成側の立場である、ただし条件付きで。

まず、反対側に対する反論から述べたい。

 

「中小企業の負担は」についてである。

中小企業は人件費を増やす体力の無いところが多いのも事実である。

しかし、その分行政補助を強化するのはどうだろう?

従業員の給料が増えれば一次的には所得税収、二次的には消費が増えることによって消費税収がそれぞれ増えるはずであり原資をかなり回収できるはずだ。

 

続いて「雇用が減るのではないか」についてである。

私はこれは半分杞憂であると思う。

毎年のように言われていたわけだが実際最賃上げによって雇用がダメージを受けているかというとあまりそうではなかったように見受けられた(つまり従前とほぼ変わらない雇用)。

これは人減らしを行うと従業員の労務負担が重くなりすぎるということに因るものかもしれない。

一旦人減らししても従業員の仕事がハードになって職場に不満が溜まり仕事の質も低下し已む無く元の従業員数くらいに戻すというのも珍しくはないことだ。

若しくは、他の部分でのコストダウンや商品の規格改訂(内容量減)などの企業努力か。

何れにせよ心配されたほどの結果にはなっていないのである。

今後も同じかは保証できないが、恐らく今までと似たような展開が有り得ると考える(当面は)。

ましてや消費者の意識も変わり始め、適切な価格転嫁は仕方無いと考える人が増えたため(2014年の消費増税時が分かりやすい例)賃上げに伴う価格転嫁も認められるようになる可能性は低くない。

価格転嫁が出来る(値上げした商品がちゃんと売れる)なら人件費増くらいはペイできる。

 

二点書いたが、そうであれば最賃上げの負の側面は小さくなり、むしろプラスの部分の方が大きい。

労働者は消費者・生活者でもある、ということを忘れてはならない。

仕事があるか無いかより食えるかどうか、まともな生活ができるかどうか、の方が重要である。

食えない金で雇われているのでは意味がないことは多くの人が既に知ることだ(働いていると生活保護が貰えなかったりするわけで働く以上は生活できる額がないといけない)。

 

また、「無い袖は振れぬ」だ。

賃金については企業側が「無い袖は振れぬ」というスタンスであることが慣例化しているが、それは労働者側も同様である。

借金してでも躊躇せず消費するとかならともかく、一般的な金銭感覚を持っていれば、所得に比例した消費の仕方をする。

つまり賃金を安く抑えられてしまうと生活必需品やそれに準ずるもの以外にはあまり手が伸びなくなる。

必需品も安いところで買うようになってしまう。

そしてブーメランの如く企業側に跳ね返る。

これがデフレスパイラルだ。

好循環を作るには価格転嫁を認める風潮を広めてから賃上げを行い、コスト増分を適切に価格転嫁し、そして再び賃上げという流れが考えられる。

ただし、これは特定の企業や業界に限られては意味がないものであり、社会全体で行われる必要がある。

何故なら社会全体で賃上げ&価格転嫁が行われないと歪みが生じてしまうからだ。

皆でやれば怖くない、に近い発想だが、皆でやれば価格転嫁が受け入れられやすくなる(物価が上がっても収入が増えれば大丈夫)。

人件費はワンオブゼムのコストであるため、為替変動や原価高騰などの影響を省いて単純に条件を揃えて考えてみると、賃上げによる値上げ率は賃上げ率より低くなる。

つまり実質豊かになる。

 

では原価が高騰したらどうするのか。

これについては原価高騰分以上に値上げすれば良いだろう。

原価高騰分だけの値上げだと会社の実質利益は変わらないので賃金変わらず、値上げ分だけ生活が苦しくなる。

余裕を持たせた値上げをすれば賃上げできるし、これが他社にも波及し「物価が上がったから賃上げしよう。原資はうちの会社の商品の値上げで賄おう」となれば生活は苦しくなりにくい。

 

最低賃金の話から逸れてしまったが、「無い袖は振れぬ」は立場関係なく誰もが該当するということを言いたい。

景気の好循環は切っ掛けと環境準備が必要である。

最低賃金アップはそのための手段の一つでしかないが、企業の多くが人件費に対してシビアな取り組みをしてきた(日本の非正規労働者は先進国の中では収入が最低水準)以上、底上げという意味で必要不可欠といえる。

故に私は賛成である。

勿論、上記にあるような価格転嫁を進めることの重要性を添えた上で。

 

せどり

オークションが流行っている。
これには複合的な要因があるはずである。
まず私が立てた仮説は以下の通り。

1,要らないものを捨てるより売って換金した方が良いと考える人が増えた
2,出品者が自身の不要物を売ることで他者に貢献したいと考えるようになった
3,単なる副業代わり


ざっとこんなところか。
1について考えよう。
確かに生活していれば要らないものが出てくる。どうせ捨てるなら売って金にした方が合理的だ。

2について。
これは少ないのでは。

3について。
ずばり今のオークションブームの根幹はこれであるはずだ。
とりあえず何か仕入れてきて付加価値が生まれたタイミングで高値で売る。
投機に近いものがあるかもしれない。
物価の上昇が生活を圧迫するなか、生活防衛の一環として転売に手を出す人は少なくないだろう。

しかし転売される商品の中にはコンサートのチケットが含まれるようで、ここまでくると不健全である。
そもそもコンサートのチケットは転売禁止のはずだ。
また、転売目的でチケットを大量に購入する者がいることで純粋にコンサートに行きたいファンがチケットを手に入れにくくなる現象も起きている。

今一度、チケット転売者は自身の良心に問いかけてほしい。
と同時に、庶民がオークション転売という副業(あるいは失業者の仕事?)をしなくても良いような経済情勢が望まれる。

一億総活躍社会とはいうが、所謂「テンバイヤー」が自然消滅して居なくなってこそ本当の意味で実現したと言えるだろう。
国民の自助努力だけではどうにもならないことや機会の質の差などをフォローするのも政府の役割であり、そのことについては「大きな政府」「小さな政府」という対立軸は無意味である。

需要と供給

たまには雑記的なことを書こうと思う。

以前、モテ期について調べていたら興味深いグラフが見つかった。
残念ながらそれが掲載されているサイトが何であったが忘れてしまったが、ざっくりいうと以下の通りである。


1,男性は26歳頃「モテ」のピークとなり30歳以降緩やかに低下
2,女性は21歳頃「モテ」のピークとなり以降は急落、25歳以降も低下が続く
3,同じピーク同士(男26・女21)を比べると「モテ」具合は女性は男性の3倍
4,男性は20歳頃から「モテ」度が急に上がる(それまでは同年齢の女性より遥かに下)
5,女性は14歳頃から「モテ」度が急に上がる
6,男女の「モテ」具合が31歳頃に均衡しそれ以降は男性の方が上


これについては「なるほど」と感心してしまった。
勿論、鵜呑みにしてはいないが、結構当てはまっている事象が多いのではないか。

1についてであるが、確かに「男は大人になってからが勝負」とはよく聞く。
2については、女性は若い方が良いと言っている男性の圧倒的多さからもわかる。
また、男性には極端なピークがないということ、若い女性は引く手あまたであり本人に特別な事情が有ったり男性を厳選したりしなければ男性とのカップリングが容易であるとみられること、などを表したのが3であろう。
4・5は恋愛・性市場に於ける男性の「男子大生ブランド」「女子高生ブランド」が該当するのであろうか(ちなみに私はこうしたブランディングが嫌いであるが実際こうしたブランドが世間に存在するのもまた事実)。
6は(女性の方には失礼な言い方になってしまうが)30歳過ぎると女性が年齢に危機感を覚えることが増えるということが該当するのか。


ただ、6については怪しい。
そもそも女性の場合30歳過ぎた時点では結婚している可能性が高く、彼女らはモテるモテないの以前に市場から退出しているはずだからである(もし人妻にもかかわらず恋愛市場に残り続けていたら浮気・不倫につながるのでそれはそれで問題がある)。
こうした要因がグラフに於ける「下げ」に繋がっているのかもしれない。


以上、雑記であった。