2020年問題

2020年以降、大学入試制度が大きく変わる。

センター試験が廃止になるほか、面接等も取り入れられざっくりいうと人物を見る比率が高まるということだ。
こう書くと良いように見えるが、実際は様々な問題を引き起こすと思う。

まず、経済的に苦しい家庭ほど国公立大を諦めるのではないかということ。
現行の制度では頭が引っくり返るほど死ぬ気で努力すればそこそこの国公立大に入れる。
しかし新テスト移行後は本人の対策に今まで以上に時間がかかり、高校1年から予備校通いをしなければならなくなるだろう。
つまりその予算を捻出できない家庭はその時点で厳しくなるかもしれない。
結果、本意でない私立大に入り、高い学費を払うために奨学金を借り、社会人になった後に返済に苦労することになる(奨学金問題そのものは2008のリーマンショック以降元々顕在化しているが)。
また、国公立諦めて私立に流れようという考えを持つ人は多くなると思うので、私立の入試自体も倍率が上がり難しくなるだろう。
負けた人は高卒?
いやいや、そうなってはいけないだろう。


二つ目は面接によりコミュニケーション能力や様々な経験を見るようになると、所謂「堅物」みたいな人はキツいだろうなと。
勿論、社会的スキルの低い人を大学に入れたくないという気持ちも解らんでもない。
しかしそう物事はスパッと切れるものではないし、もし頭でっかちみたいな人が「要らない子」としてカテゴライズされるなら、それは小中高大、とくに大学に於ける教育の放棄ではないかと私は思う。
なぜなら、実際の教育改革があまり進んでいない(2020には間に合わないのは自明)、環境も整備されていないのに大学の入口のみ変えるということは「今できない子は要らないよ。うちの大学で育てる気もないよ。最初から器用な子が欲しいな」ということに近いからである。
日本では平成に入ってから職人が尊敬されなくなった。
海外からは日本の昔風な職人に対する評価が高いにもかかわらず、自ら捨てているようだ。
また、こういった状況なので職人のような「不器用であまり喋らない。しかし極めた仕事は誰にも負けない」というような人が社会人としてはあまり評価されず、学生時代に遊び回ってきて世渡り上手くて調子良い人(仕事はそこそこ程度)の方が評価が高くなってきているように見えて仕方がない。
コミュニケーション能力などは大切だとは思うが現状の、その偏重ぶりは目に余る。
大学新テストがそのような風潮を更に加速させないか気になるところである。


長くなったが、まとめよう。
そもそも入試制度改革は「より良く変える」ためにあるはずだが、変えたことによって上記のようなことがもし起きたら本末転倒だ。

なんのための改革か。
大学に行くことを諦めさせるための改革なら何の意味もないし悪魔の改革といえるだろう。
すべての人に挑戦するチャンスを見せる。
これこそ、真の意味で若者を活性化させると私は思うのである。

青春の力

青春とは何のためにあるのだろう。
それが味わえる時期が過ぎてから青春の大切さについて気付かされることが多い。

大人になるとどうしても打算が増える。
それを好むと好まざるとにかかわらず。
利害の損得勘定で考えてしまうから好きなものや好きな人に純粋に没入しにくくなる。

しかしそんな乾いた日々を当たり前に過ごせる大人が多いのは何故か。
それは若いときに打算とか無しに純粋に遊びや恋を楽しんだ経験があるからそれが糧になっているのだろう。
言ってみれば心のガソリンさ。
未練が無いのだろうな。
未練が無いことによって前だけを向ける。

もし青春を味わってこれなかったらどうなるか。
いつまでも10代後半~22歳くらいにやり残したことばかりに心を縛られているのだろうな。
これじゃ大切な時間を無駄にしてしまう。

故に、青春は、それを味わえる本来の時期に味わっておくべきだと私は思う。

まあ私は25歳なのでもう青春を味わうことは出来ないが、下の世代には青春の大切さを伝えていきたい。

Red Demon

そういや泣いた赤鬼の話の英語版のタイトルが「Red Demon and Blue Demon」なのだが、
どうしても「Demon」に違和感あるのだ。

「demon」は勿論「鬼」的な意味も無いわけではないが、どちらかというと「悪魔」や「魔物」というニュアンスだ。
「鬼」といえばやはり「ogre」の方がしっくりくる。

「Red Ogre and Blue Ogre」ではダメだったのかなぁ?

生きること

生きることについて難しく考える人が多い。
私もその中の一人だ。
ただ、やり方次第では様々な道があるのではないかと思う。

よく考えれば分かるが、もし日本に住む全ての人が「普通に大学出て普通に就職して60歳の定年まで普通にサラリーマンやって普通に60歳で退職金もらってリタイアして普通に65歳から年金貰う」という人生なら、社会は絶対に廻らない筈だ。
何故なら会社とオフィスと背広姿のサラリーマンだけで社会が成り立っているわけではないから。

また、雇う側と雇われる側だけで成り立っているわけではない。
「自分で仕事を作る」つまり個人事業主という道もある。
個人事業主というと自営業の個人商店のおっちゃんみたいなのを連想する人が多いしそれ故に食えないイメージが強くあるようだが、これからの時代は個人で仕事を作りやすくなってくると言われている。
ニーズの多様化でニッチな需要を拾いやすくなるなど環境が変化したことやツールが進歩したためだ。

だから生計立てるには従来のように「雇われるか」「会社設立するか」の二択ではなく“中間”も加わった。
ちなみにしっかりと会社を立ち上げるにしても昔のように高額な資本金を積む必要が無くなった(10年くらい前に法律が変わり、会社設立時の資本金の最低金額の規定が実質無くなった)ので誰でも「社長」にはなれる(儲かるかは別として)。

また会社作らず個人で仕事をするにしても何の仕事を拾ってくるのかはアイデア次第。

そう考えると食っていく道は単線ではない。

私も、何年か経ったら何らかのビジネスを始める予定だ。

詩について

今日は久しぶりの木曜休み。
まだブログにはアップしていないが、
家にいるときは個人的に詩を書いたりしている。
詩とはいっても歌詞としても使いやすいような構成を意識している。
これも完全な自己満足なのだけれど、曲やリフもたまに作っているので(適当なので酷いものだが)、後で曲を作りたくなったときに作りやすいように。

詩については割と遠慮の無い表現というかキツい表現も多いかな。
社会風刺や人生の在り方について独自の言い回しで書いているものが多いが物語調にしていることも多々ある。

次のことを考える

教え子達の入試が今週から始まった。

彼らの殆どにとっては「自分で自分の人生を動かす」初めての本格的な機会であると思うので、ここは力を全て出し切ってほしい。
「平常心を保つのは難しいだろうけれども、
それは会場に居る周りの子達も同じなのだから御互い様だ。だから案外何とかなるものだ」と彼らに伝えた。

日頃はシビアな話を交えながら指導してきたが入試期間に突入したなら、こりゃ話は別よ。
変に緊張を高めさせるのはNG。

また、今の中二の子達に対しては「他人事ではない。今の三年が受験終わったら次はあんたらの番だ」的なことを言っている。
まだ時間が残されている人達に対してこそ敢えて現実的なことを強調する。

こちらとしては、受験生に対し全力でバックアップしつつも、そこだけに目線を集中させるのではなく次のことを常に考えている。