分岐点

生きることは分岐の連続である。

小学生時代どう過ごしたかで中学生時代が決まる。

中学生時代どう過ごしたかで高校生時代が決まる。

高校生時代どう過ごしたかで大学生時代または社会人時代(の序盤)が決まる。

そして社会に出てからどう過ごしたかで老後まで決まる。

いきなり大きなものを掴もうとしても難しい。

天才でない、つまり普通の人であればスモールステップを踏んでいくしかない。

 

私は塾の講師という仕事をしているが単に学力を伸ばす・テストで点を取らせるというのではなく、先々のことまで生徒達に考えさせるようにしている。

点の良し悪しで叱るとかいう、芸が無い真似はしない。

例えば一所懸命やったが50点しか取れなかった子と、本来は出来るのに日々の取り組みが甘くて75点だった子が居たとする。

前者については本人なりに奮闘して力を出し切ったので叱らずに、「どれどれ、何処がわからなかったんだい?」と優しく確認し本人と一緒に考えて、出来るようにじっくりフォローしている。

 

しかし後者のパターンは違う。

こういう場合は事情や本人の意図など細かくチェックした上で必ず厳しく叱らせてもらう。

何故なら、後者のパターンは本人の認識の甘さが見られるケースが多いからだ。

この仕事を何年もやってきて、何人もそういう生徒を見てきた。

授業で私が教えたことをすぐ復習して毎日少しずつでも勉強すれば90点いけるはずの子なのに、あれこれ理由をつけて復習をせず、宿題も授業日ギリギリにやり(だから授業時の理解度は高くても次の週には忘れてしまう)、自主的な練り込みもなく(だから知識はあっても引き出せない)、挙げ句テストが納得いかない結果で終わる。

テストが(本人にとっては)低調に終わるから、やる気を無くす。

出来ないことを人のせいにする。

結果、刹那的になり目先の楽しいことや楽なものに逃げる。

そういう子の末路は多難である。

 

例えばこのようなルートがある。

中3の12月になって「私立の確約が取れなかった」り、年明けの私立高の試験で失敗したりといった「痛い目を見て」ようやく目が醒める。

「残りは3月の公立高しかない」という現実にオロオロして何も手がつかない。

そしてランクを下げてどこか入れるところに入る。

妥協して入った高校だから心がときめかず勉強が身に入らない。

気がつけば赤点に怯えつつも「頭のいい友人」を利用しテスト前教えてもらい何とか回避。

普段は放課後は「バイトで遊ぶ金稼ぐ→遊ぶ→バイト→遊ぶ」のループ。

当然、彼らの親は呆れ、何も注意しなくなる。

そしてそんな自堕落な生活の果てに大学進学も就職も出来ず「進路不明者」に。

高校時代のバイト先に舞い戻り、高校時代とは違う伸びた髪と死んだ魚のような目。

いかにもフリーターという格好で淡々と仕事をし営業スマイルをニカッとふりまく(誤解なきよう書いておくが、私はフリーターを否定する気はない。目的あるフリーターなら格好良いとすら思う。しかし上記のような例は良くないと言いたいだけ)。

大学生やサラリーマンになった高校や中学の同級生がバイトの店に客として来てジロジロ見られ「あいつXXX(中学名か高校名)ん時の鈴木じゃね?」みたいにコソコソ言われる。

そして当の本人は思う。

「あのときしっかりしていればこうならなかっただろう」と。

 

そうなってからでは遅い。

だから「本来は出来るのにやり方が甘くて出来なかった」子に対しては厳しく言及し諭す。

今目覚めないと遅いのだ、と。

将来なりたいものがあるなら、そこから逆算して「甘ったれている今」が既に地獄の入口だとイメージ出来るか、と。

そういうことからまず解らせないといけない。

いくら「勉強しろ」と言っても、その重要性がわかっていないならやるはずがないのだから。

 

そもそも、「やらずして出来ない」というのは論外だ。

「やっても出来なかった」なら周囲も割と暖かく見てくれるだろう(それも年齢が上がるにつれ通用しなくなってくるが)。

しかし「やらないから出来ない」が続くと、それは高い確率で様々な人達から近いうち見放されてしまう。

「こいつに何やっても無駄だ」と。

そして助けを得られぬままズブズブと悪い沼に沈んでいく。

 

そうなってはいけないからこその厳しい叱りというものがある(勿論、頭ごなしに叱ると反抗心を育ててしまうので本人に考える時間を与えるのも必要であるが)。

それに、決して安くはない授業料を保護者の方から預かっているわけで、指導者としては結果を出すなり態度を変えさせるなりする責務があり、本人の言いなりになるわけにはいかない。

中学生は地元の中学に通っている子の場合、その殆どが一度も入試というものを経験していない。

だから、しっかりした子を除けば、どうしても考えが甘くなってしまう。

甘くなかったとしても、「どれくらいやればいいのか」「どう過ごせばいいか」目安がわからなかったりしている。

しかし彼らがどうあれ、受験という場が椅子取りゲームであることには変わらない。

無防備なまま受験を迎えると厳しい結果が待っている。

その先にあるのは不本意な人生である(高校で全てが決まるわけではないが、入る高校のレベルによっては大学進学が絶望的であり、それによって就ける仕事まで絞られる)。

 

不本意な結果を招かないよう導くのも我々の仕事である。

義務教育期間という「守られた立場」にある中学生(例えばテストで0点だろうと不良として暴れようと中学生という身分は保証されている)にはイメージ出来ないことを、少しずつ解らせてあげて、「将来なりたいもの」を壊さぬために勉強に誘導する。

そしてレベルを上げていく。

これが大事だと思う。